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さっきテレビでやってたんだけど、
「天国に持って行きたいものは?」
という質問に「花束」と答えてたおじさん。
その理由が「奥さんに久しぶりに会うから。」
素敵だと思った。3月 1, 2012に公開 via 小鳥メモメモ with 578リアクション
出典: pya.cc
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夏目漱石が創り出した言葉・・・
「反射」「無意識」「価値」「電力」「肩がこる」「電光石火」「ひどい」「浪漫」「沢山」「とにかく」「価値」etc…
福沢諭吉が創り出した言葉・・・
「自由」「経済」「演説」「討論」「競争」「健康」「楽園」「版権」「鉄道」etc…2月 29, 2012に公開 via Heart Break Station with 953リアクション
出典: blog.livedoor.jp
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八百屋さんで売っているのが野菜、果物屋さんで売っているのが果物?そうではありません。
野菜は「食べられたくない」、果物は「食べられたい」という違いがあると言うのです。
果物は動物に美味しく食べてもらうことによって、果肉は消化されてしまいますが、種は糞と一緒に新しい土地に移動することができます。これは、生命を維持しようする巧妙な仕組みになっているのです。確かに果物の種というのは食べても消化されず、それがまた種を殖やしていきます。
一方の野菜は、食べられたくないので毒を持っています。独特の苦みやえぐみは、蓚酸(しゅうさん)と呼ばれるアクです。ほうれん草は茹でてアクを取る、きゅうりは塩もみにして周りのトゲとアクを取っていく。野菜を効率的に消化するにはひと手間かけることが必要だということです。豆の場合も生だとレシチンという毒があってお腹を壊す。だから煮て食べないといけないのです。
それぞれが生命が生き残るための理にかなった戦略なのです。
2月 29, 2012に公開 via kojiroby.tumblr with 1,516リアクション
出典: shinoby.net
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日本では、訃報に際した場合、「ご冥福をお祈りします」という言葉が一般的で、最近ではマスメディアも当たり前のようにこの言葉を使う。しかし、この言葉は宗教的意味合いを含んだ言葉であり、正しくは仏教でしか使用できない。仏教では、人間は死後冥土をさまよい、生前の行いによる裁きを受け、その結果次に転生する世界が決まると言われている。したがって「ご冥福を祈る」とは、冥土の旅を無事に終え、転生する世界でもお幸せに、ということなのだ。そもそも「冥土」は仏教用語で、他の宗教にはない概念である。また、仏教でも、浄土真宗では、冥土をさまようことなく極楽浄土へ行けるということになっているので、この言葉は使用できない。相手の宗教が分からない場合は、「謹んで哀悼の意を表します」が無難だ。
『FJ』2012年1月号 -
ちょうど一〇〇年前、一九一一年の八月、夏目漱石は関西四箇所演説ツアーをおこなった。演説はいまで言う講演会。その初日、明石での演説が「道楽と職業」という題だ。(略)
道楽と云ひますと、悪い意味に取るとお酒を飲んだり、または何か花柳社会へ入つたりする、俗に道楽息子と云ひますね、ああいふ息子のする仕業、それを形容して道楽といふ。けれども私のここで云ふ道楽は、そんな狭い意味で使ふのではない、もう少し広く応用の利く道楽である。善い意味、善い意味の道楽といふ字が使へるか使へないか、それは知りませぬが、だんだん話して行く中に分るだらうと思ふ。
善い道楽とはなにかという話が始まるのかと思っていると、〈もし使へなかつたら悪い意味にすればそれでよいのであります〉というのだから自在なものだ。科学者や芸術家、むかしの禅僧などは〈一も二もなく道楽本位に生活する人間だから〉、つまり〈すでに性質上道楽本位の職業をしてゐるのだから〉、〈彼らにとつては道楽すなはち本職なのである〉、かく申す自分もそうだ、と漱石は言う。
(略)
道楽本位に作られた文章や作品が好きだ。売れない純文学作家は好き勝手なことばかり書いているが大衆小説家である自分は読者に奉仕しているのだ、といった意味のことを熱っぽくツイートなさる作家がいる。それは慶賀の至りだがその力説自体は読者に奉仕しない、というかお嫌いな純文学、とくにむかしの私小説はだしの「こんな自分をわかってほしい」という絶叫そのものであることにお気づきか。
自己満足したくて書かれた小説のなかにはダメなものもあれば私が楽しめるものもある。他方、道楽じゃありません奉仕の心で書きましたという触れ込みの小説はもうその力瘤だけでお腹いっぱいで絶対に楽しめない。小説家はもっと道楽で書いてくれ。千野帽子「道楽を書く。道楽で書く。」(『yomyom 23』) -
ユニフォームサプライヤーがヒュンメルからアディダスに変わった理由
「デンマーク代表といえばヒュンメル」といわれるほど、チームの代名詞として語られてきたヒュンメル社。1979年よりデンマークのサプライヤーとなった同社だが、2004年7月1日よりアディダス社にとってかわられた。その理由について調べるため直接デンマークサッカー協会(DBU)に問い合わせたところ、「露出度」「金銭面」という点でアディダスが選ばれたとのことだ。
2003年7月、DBUは4社からオファーを受け、そのなかでアディダスとヒュンメルが最も条件が良かったため、引き続き2社と詳細について交渉。そして、国際的な知名度や金銭的条件で、アディダスがヒュンメルを上回ると判断されたそうだ。
サプライヤー変更後のデンマークはといえば、ご存知のとおり2006年W杯、2008年欧州選手権と2度続けて予選敗退。これを受けて、一部では「アディダスの呪い」といわれたこともあった。
なおDBUは、2007年11月にアディダス社との契約を2012年6月30日まで延長。よって2012年の欧州選手権まで、デンマーク代表選手は3本線のユニフォームを着用することになる。スカンジナビア・サッカーニュース(sportsnavi.com+) -
埋蔵文化財調査結果の報告によると、
「平安時代(九~十世紀)の堀立柱建物跡十棟以上、町内を区画する小径跡を確認しました。これは、平安時代の宅地割の在り方を規定した延喜式の『京程』に合うものでした。十棟以上ある建物跡や小径に伴う溝からは、土師器(はじき)、須恵器、黒色土器、緑釉陶器、灰釉陶器とともに中国から招来された希少な陶磁器が出土しています。このことは、この地に位の高い人物がいたことをうかがわせるものです。…」(平安京右京二条三坊八町跡現地説明会資料より)学校文集(平成23年9月22日発行) -
ずっと以前、すべてに不充足だらけだったが、身体だけはどこも痛いところがない、それが生きているということだと思っていた時期があった。
その頃考えた健康というものは、だからもう少し積極的な意味合いを含んだものだった。過分でない生き方。それから、深い生き方。心をこめた挨拶がすっとできるような日常──。
私の眼の前にはまだ他にも、激しい生き方や卑怯な生き方や小利口な生き方などがよりどりみどり並んでいて、そのときどきで自分で選んでいるつもりだった。そうしてよく悔いた。故郷へ戻るように、ときおりやはり、健康ということについて考えた。少し大人になってからはいろいろな生き方を綜合し重ね合わすことができるようになった。しかし同じことで、自分の軌跡はひとつしかない。年月がたつにつれて澱のようなものが身心にたまり、もう何も選ぶことができず、昨日の自分をはてしなく続けていくよりほかにない。そう、はてしなくだ。助けて賜べやおん僧、である。そうして僧の存在も信じていない。助けてくれるものもなく、助かろうと思ってもいない。この世は自然の定理のみ。だから、そのことを思いだしてはいけない。思いだすきっかけを造ってもいけない。注意深く何も考えず、その地点をすり抜けて転げるように生き終ってしまわなければならない。それなのにひとつひとつつまずくような事柄がもちあがる。胆嚢に石ができただけでその泥沼にひきずりこまれる。助けて賜べやおん僧。命乞いではない。このはてしなさをのがれたい。『たすけておくれ』色川武大 -
10月24日(霜降)[そろそろ冬支度] 陰暦9月の中、陽暦では10月23日か24日。露が結び、北海道や東北では初霜が降ります。草木も徐々に枯れ始め、そろそろ冬服の用意に取り掛かる頃。
『ku:nel 11月号』季節の道しるべ -
「〈でも〉も〈もで〉もありません。なすのは本人であって他人ではない。なにごともです。
たとえば、わたしは煙草をやめました。やめようと思ったからです。やめたらとか、やめろと言われたことは、以前にもあったのです。身体に悪いからと周囲から言われたし、わたしも身体に悪いことはわかっていました。しかしやめようと思わなかった。他人に合わせて、一時的にやめてはみるが続かなかった。やめられませんでした。
あるとき、胸や机がたまらなく煩くなったのです。煙草を吸っていると、机には煙草と灰皿がいつも置いてある。出かけるときはポケットや鞄に煙草とライター。口はにちゃにちゃと臭い。それが〈うるさいっ〉と感じたのです。なんて煩いんだろうと。
人には、ふとそう感じたと言っていますが、ふとそうなるのは、毎日を暮らしているうち、己の内に、こまかな要素がいくつも、ドロドロに複雑に絡み合った過程を経ての結果なのです。そういう結果であることを己は知っています。知っているが、他人に説明するのが……というより自分で自分を分析するのが面倒なので、だから、ふと、とか、あるとき急にとか、便利な一語を使うに過ぎない。
ともかくも、わたしはわたし本人が、煙草をやめたいと思ったのです。煩いっ、もうたまらん、と。本人がそう思ったので、やめられました。
もちろん、やめたことで、次にはやめたことによるプロブレムがおこります。ウズウズしたり、イライラしたり。やめてワンシーズンほどは体重が増えて、もとにもどすのにツーシーズンかかりました。ヒカルさんは女性だから、女性のほうが経験がおありなのではないかと察しますが、体重は増やすのはいともかんたんながら、減らすとなったら百グラムでさえ、たいへんな作業です。だがそれは想定内のプロブレムであって、順にクリアしてゆけばいいだけのことでした。
〈でも〉と、今、ヒカルさんは言った。〈でも〉と思うのは、あなたが滋賀に帰らないことにしたことをご両親らが知った後の、つまり帰らないことにした次におこるプロブレムがたいへんだと思うからでしょう? それは、煙草をやめたあとに、わたしに降ってきたプロブレムと同じです。想定内です。
事の大きさはちがう。しかし、煙草をやめるのも、滋賀県にもどるのも、基本は同じです。二つとも……たとえば芸術作品の判定や恋愛や夫婦の離婚などとは違って、じつにシンプルなプロブレムです。本人が滋賀にもどらず、東京ですることがあるというなら、それをなさればよいでしょう。失敬、ちょっと水を」『パパ、あたし、東京へ行く』姫野カオルコ